『知識は誰にも奪われることの
ない財産です』という言葉を
聞いたときは若いころで
本当にそうだなと思いました
そこにプラスして
知識と経験は、、、という風に
考えて今まで生きています
なので
子どもを持ったときから
教育は子供の未来への投資だと
思っていますし
可能な限り色々経験させて
触れてもらって 子供が
興味があろうがなかろうが
やったことがあることを増やして
いきたいと思ってやってきました
大人になっても学べることは
ありますし
学ぼうという気持ちがあれば
いくつになっても続けられることです
ただ学ぶことの習慣は
小さいころからの成功体験などに
基づくのではないかなと
勉強に向き合ったことがある人は
大人になっても勉強が必要な場面で
勉強という壁が高くて困難であっても
よし やるかと思えるのかなと
ただ大人になってから追加で色々
資格や検定を勉強して受けるのは
時間もお金もかかるため
出来るだけ 若いうちに取り掛かった方が
いいだろうなと思います
私の人生はある程度生きてきました
まだまだ長生きとかまだまだ楽しみたいと
思う気持ちより
私はずっと普通に健康で 家庭もあり
仕事もあり 金銭面にもきっと
恵まれてきたので
この先は大きなことは望みません
普通に暮らしていけたらいいです
望みは子供の人生が豊かでありますように
子どもが家庭を持つことがあると
したら 子供の家庭やそこから広がる
人生が贅沢という意味の豊かではなく
心豊かに暮らせますようにという願いだけです
そのために 教育は必要かなと思い
それ以外にも 資格だとか
大学生のうちに一つでも何か
自分のアピールに書き足すことができるものを
お金は支払うので どうぞ取得してくださいと
いう気持ちがあります
今のうちならまだしてあげられるし
子どもの脳も柔らかく 勉強するのは
大変だろうけど まだやれる
子どもがやりたいことをさせてあげたい
というのもいいけれど
意外とやりたいわけではなかったものが
後々人生の役に立つというときもあったりして
あの時の知識が役に立ったという
場面がきっと一瞬でも現れるときが
くるかもとか
仕事で良いきっかけになるとか?
お金を残すことはできるかもしれない
けれど
人生を遊んで暮らせるお金を
残して 果たしてそれが子供の人生を
心豊かにするでしょうかね?
人って一日何かしら労働して、、、
今日の技を成し終えて
心軽く安らげば。。。と
遠き山に日は落ちての歌詞のように
生きることの方が価値があると思っています
なので 私が思う子供に残したい財産は
知識と経験
そういうことがより良い人生を送れる
要素が含まれているような気がしています
その二つを元に彼らが生きるっていうことの
深い部分を彼らなりに答えを探しながら
歩んでくれたらなと思ったりして
そういうのって人間味ってことなのかな
私が何にお金を使うかと言ったら
そういうことにお金を使いたいと思っています
私が思う 私が生かされている意味は
子どもに人生を繋ぐことだと思っていて
それを実行できている今は私は幸せです
彼らを守る 全力で
家族の生活を守る それだけです