お金のことと関係するのかどうかは
わからないのですが
私も夫も『面倒くさい』という会話を
しないです
でも
あー そういう面倒くさい人いるよねとか
そういう人ってめんどうだよね という話は
あります
私も夫も使わないので子供も使わないのですが
あえて使わないというか
二人とも仕事人の脳みそなので
基本仕事って面倒なものだと思っていると
いう事実が根柢にあります
仕事って面倒なものです
めんどくさいことばかりですが
それを言ったらおしまいというか
終わりなのですよね
面倒だとはわかっているが
それを自分はどうすのか?
面倒だと思っている中 どれだけ自分が
手際よくキレイに仕事をするか
私は見えないものをきれいにするのが
好きなのです
ごちゃごちゃしているものをまっすぐに
するような
仕事でふってくるものって
人間関係も内容も面倒なことって多いのですが
その場合の方がちょっと燃えたりします
めんどくさいことをどれだけスマートな顔して
やりこなすのかが できる大人なのかなと思っている
ところがあります
そうでありたいなと思う方が強いですね
できるかどうかは別として。。。
これはあくまで私の見解ですね
誰もがみんなそうであるとは
思っていないです
普段の生活や家事や育児も同じだと
思って結婚しました
人のお世話をするって面倒です
だけれど それをどれだけ楽しみや
幸せに変えて
生活を整えるかってところ
面白いなって思うのです
生活を整えていれば家族が健康で
気持ちが安定します
家族の暮らしを整えているなと思うと
それが私の幸せになっています
面倒くさいことをどれだけ丁寧にできるか
丁寧にしなくてもいいけれど
どうこなしていくか?
話が大きくなってしまいますが
生きていくってそういうことなのでは?と
子供の将来はまだ見えませんが
私たちが見せている生活は
子供の目には普通に見えているでしょう
特別大変そうではなく 楽しいことを
考えて 日々を整えて 与えられたことを
普通に全うしている
親が面倒くさそうに仕事に行き
働いて 家事をしていたら 子供は大人に
なるのがやだなぁと思うのではないかなと
子供の頃の私はやだなぁって思うことが
多かったのです
色々面倒なことが多いなぁって
習い事が毎日あって それが嫌だったのですよね
空気は読めるけれど 子供の世界の中では
人からどう見えるかとかあまり気にしない感じでした
結構面倒くさいことが嫌な子でした
要領がいいので 周りの状況を読んで
面倒なことを回避したりして
でも
いつの頃かなぁ 小学校高学年になる前かなぁ
きちんとし始めたら
色々なことが楽になったのですよね
なんだろう 自分の生活を自分なりに整えることで
周りからの信頼も得れるようになり
困ることが少なくなりました
友達同士の厄介なことも いつの間にか
その場にいないという感じでやり過ごしてきたけれど
向き合うってこともするようになったし
何が変わったか 考えてみれば
面倒なことから取り掛かる
そういう脳に切り替えたのです
そして人生に対して用意するようになった
面倒なことが降りかかる前に情報を集めたり
アンテナを張り巡らせたり
自分で対応する力がつきますよね
海外に出ていた時間が大きいかもしれませんね
自己責任の国だから
面倒なことから逃げていたら
いつまでたっても自分が成長しないってわかったし
自己責任って 自分に責任を持つってことですからね
面倒とか言ってられないのですよね
面倒くさいというマインドを捨てる
自分の生活や脳にそう習慣づけると
いいことが増えるかなって思います